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『秩父路そぞろある記』ー秩父夜祭裏話⑤

更新日:2022年10月11日

 秩父夜祭の主役「武甲山」は、日本の発展に多大なる貢献をした山です。それは、社会のインフラ整備に欠かせないセメントの原料である石灰石を産出する山だからです。国内には他に武甲山のような石灰岩の大鉱床はありません。戦後、東京のビルや高速道路、港湾施設などが早急に復旧復興できたのも、ここに武甲山があったからといえるでしょう。明治期から採掘が開始されておよそ100年、その山容はすっかり変わってしまいました。日本の発展を支えた続けた武甲山、それはまるで自らの身を削って懸命にわが子を育てる母親の姿のように思えます。

 「武甲山(ぶこうざん・さん)」という名称が定着したのは比較的新しく、江戸期だということです。大昔はただ「嶽(たけ)」と呼ばれ、その後、「知々夫ヶ嶽(ちちぶがたけ」「祖父ヶ嶽(おおじがたけ)」「妙見山」などと呼称されてきました。祀られている神様も合祀を経て変わってきました。

 現在、武甲山の標高は1304mとされています。しかし、1977年(昭和52年)までは1336mでした。石灰岩の採掘が山頂近くまで達したとき、御社を下方に移したのです。1336mの頂上まで登ることが許された最終日、私は父親と弟で記念の登山をしました。晴れわたった空の下に広がる秩父盆地の景色を今も忘れません。

 今年の3月、約40年ぶりに今度は息子と登ってみました。登山道も整備され、登山口の生川(うぶかわ)一の鳥居には駐車場や新しいトイレも設置されました。頂上にもトイレがあるので女性でも安心して登れます。頂上は切り立った採掘場をのぞきこむような場所にありますので(もちろん柵があります)、下を見るとゾワッとしますよ(笑)。ぜひ、皆さんも遠くは赤城山から榛名山、アルプスまで見通せる大展望をお楽しみください。

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