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capripapa1228

『秩父路そぞろある記』ー秩父夜祭裏話⑨

 夜祭での屋台曳行のクライマックスは、なんといっても御旅所前の急坂「だんご坂」の引き上げです。重さ20トンの屋台を、最大斜度25度もの坂を人力で引き上げるのです。  (※写真右はだんご坂を下から見上げたものです。急勾配なため空しか見えません。)    曳き子たちの力を結集するため、太鼓はより一層激しく打ち鳴らされ、囃し手の「ホ~リャイ!ホ~リャイ!」の声も一段と高くなります。やがて気が満ちると拍

子木が激しく打ち鳴らされ、屋台は「だんご坂」に挑んでいくのです。

 1917年(大正6年)、秩父鉄道(※西武鉄道ではありません)が秩父から影森へ延伸されました。その結果、秩父神社から御旅所に向かう番場通りが斜めに寸断されることになりました。そこで、曳行路を鉄道と並行に札所十三番「慈眼寺」まで延ばし、そこから御旅所に向かって90度左折(鉄道を直角に横断する)することにしました。しかし、まだ道路は未整備のままで、特に札所十三番から御旅所に向かっては、河岸段丘によって急坂が生じることになります。20トンもの屋台を安全に引き上げるためには、しっかりとした路面の道路を整備することが不可欠となりました。(※写真下は「だんご坂」手前の秩父鉄道の踏切です。この部分の架線は屋台通過の際、取り外せるようになっています。)

 この時、道路の整備を行ったのは県や町などの行政機関ではなく、屋台6町でした。6町の人々が資金を出し合って整備したのです。こうして、現在の屋台曳行のクライマックスである「だんご坂の引き上げ」が始まったのでした。

 このように、秩父夜祭は秩父の民衆が生み出し、発展させ、守り続けてきた祭りなのです。ちなみに、なんで「だんご坂」かというと、この坂の脇に団子屋があったからだとか・・・真偽のほどは不明です(笑)。


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